亡くなった父母に厳しい儒教的躾を受けた私が、仮にも夫の悪口を筆にするような心境に引き入れられたのは、二十年来古い道徳観念に縛りつけられて、夫に対する不満の情を無理に抑壓していたせいもあるけれども、何よりも、夫を嫉妬せしめるように仕向けることが結局彼を喜ばせる所以であり、それが「貞女」の道に通ずるのであることを、おぼろげながら理解しかかっていたからである。
しかし私はまだ、夫を「激しく嫌」うと云い、「性が合わない」と云っているに過ぎず、すぐそのあとから「他の人を愛する気にはなれない」、夫に「背くことは生れつきできない」と、弱音を吐いているのである。
私はすでにその時分から、潜在的には木村を恋しつつあったのかも知れないが、自分ではそれを意識していなかった。