時平は此の国経の弟、長良の三男に当る基経の子であるから、彼と国経とはまさしく伯父甥の関係になるのであるが、地位から云えば故太政大臣関白基経の長子であり、摂家の正嫡である時平の方が遥かに上で、すでに左大臣の顕職にある年の若い甥は、老いぼれの伯父の大納言を眼下に見下していたのであった。
いったい国経はその頃としては大変長寿を保った人で、延喜八年に八十一歳を以て歿したのであるが、生来一向働きのない、好人物と云うだけの男で、兎も角も従三位大納言の地位にまで昇り得たのは、長生きをしたお蔭であろう。
嘗て太宰権帥に任じていたことがあるので、帥の大納言と呼ばれていたが、その大納言になったのは実に延喜二年の正月、彼が七十五歳の時であった。