現代に於いてさえこう云う組み合わせの性生活は類稀なことゝして世の視聴を惹くのであるから、此の老歌人よりなお八九歳の高齢で、五十も歳下な婦人を妻にしていた国経のようなのは、平安朝の昔としたら餘程珍しいことではあるまいか。
次にその北の方と云うのは、筑前守在原棟梁の女であるから、在五中将業平の孫に当る訳であるが、此の夫人の正確な年齢は、ほんとうのところよく分らない。
大納言と五十も歳が違うと云うのは、まさかとも思われるけれども、世継物語には「わづか二十ばかりにてぞおはしける」とあり、今昔には「二十に餘る程」とあるので、二十一二歳であったかと思える。