大納言と五十も歳が違うと云うのは、まさかとも思われるけれども、世継物語には「わづか二十ばかりにてぞおはしける」とあり、今昔には「二十に餘る程」とあるので、二十一二歳であったかと思える。
彼女が業平を祖父に持っているからと云って、美人であったときめることは出来ないけれども、子の敦忠も美男であったと云うことであるから、矢張美人系の一族たるに耻じない容姿だったのであろう。
時平は何処かゝらそう云う噂を聞き、而もその人が時々夫の眼を忍んで情人を呼び込んでいると云うこと、その情人とは別人ならぬ平中であるらしいことをチラと小耳に挟んだので、それがほんとうなら、左様な美女をよぼ/\の老翁や位の低い平中如きに任しておくと云う手はない、須く乃公が取って代るべしである、と、ひそかに野心を燃やしていたところへ、そんなことゝは知らぬ平中がひょっこり今夜御機嫌伺いに罷り出たのであった。