左大臣家からは正月の二日に前触れがあって、明くる三日に、きらびやかな車や騎馬の列が大納言の邸へ乗り入れた。
餘り仰々しくならないように、供の人数なども目立たぬ程にして参る、と云うことであったけれども、右大将定国、式部大輔菅根などゝ云った人々、―――いつも時平の腰巾着を勤める末社どもの顔ぶれを始め、殿上人や上達部が猶相当に扈従していて、平中も亦その中に加わっていた。
客人たちの座に着いたのが申の刻を少し過ぎた時分で、宴が開かれると間もなく日が暮れたが、その晩は特に酒杯の進行が激しく、主客共に酔いの循り方が速かであったのは、旨を啣んでいた定国や菅根たちの取持ちのせいもあったであろう。