―――但し、これは北の方や附添いの女房たちが左様に感じた迄であって、時平が果して音曲の才を備えていたかどうか、別段それを證拠立てるような記録があるのではない。
が、時平の弟の兼平は琵琶の上手で、琵琶宮内卿と云われた人であったこと、忰の敦忠も管絃の名手で、博雅三位に劣らない人であったこと、などを思い合わせると、或は時平にも多少その方面の天分があったかも知れず、満更これらの婦人たちの贔屓目ではなかったでもあろうか。
北の方がなお気を付けて見ていると、左大臣はさっきから時々ちら/\と御簾の方へ流眄を使う。