なるほど、歌としては「物をこそ」より「思ひ出づる」の方が格調が高いように感じられるし、又これを国経老人が詠んだと云う風に考えて見るのも哀れが深いが、そう云う詮議立ては此の小説の埒外であるから、今は孰方でもよいとしておこう。
たゞ、こゝにもある通り、時平は夫人在原氏をたばかり取る目的で連れ去ったのであるから、もちろん明くる朝になっても大納言の所へ返して寄越しはしなかった。
それどころか、豫めしつらえて置いた寝殿の奥の一と間に住まわせて寵愛したので、翌年には早くも後の中納言敦忠である男子を生むに至り、遂には世人も此の夫人を貴んで「本院の北の方」と呼ぶようになった。