これより先、菅公が筑紫の配所で薨じたのは延喜三年二月二十五日であるが、同六年の七月二日には、時平と共に菅公讒奏の謀議に加わった右大将大納言定国が四十一歳を以て卒し、同八年十月七日には、これも時平の一味であった参議式部大輔菅根が五十三歳を以て卒した。
而も菅根の場合は、雷神と化した菅公の霊に蹴殺されたことになっているが、菅公が雷になって生前の怨みを報じたと云う怪異談のうち、時平とその一族に関係のある部分を、以下に少しく述べて見よう。
菅公の霊が始めて姿を現わしたのは、薨去の年の夏、或る月の明かな夜、五更が過ぎて天がまだ全く明けきらない頃、延暦寺第十三世の座主法性房尊意が四明が嶽の頂に於いて三密の観想を凝らしている時であった。