しかし尊意の法力も度重なっては効を奏さなかったのか、その後五年を経、八年の十月には菅根朝臣が電撃を受けて震死した。
時平は九年の三月頃から何となく所労の気味で床についたが、菅丞相の怨霊がしば/\枕頭に現れて呪いの言葉を洩らすので、陰陽師や医師を招いて、さま/″\の祈祷、療治、灸治等をして見るけれども一向に利き目がなく、今はたゞ死を待つばかりの状態となった。
一家一門の悲歎やる方なく、此の上は高徳の聖を聘してその法力に縋ろうと云うことになったが、それには当時天下にその名が著聞していた浄蔵法師を措いて他になかった。