時平は九年の三月頃から何となく所労の気味で床についたが、菅丞相の怨霊がしば/\枕頭に現れて呪いの言葉を洩らすので、陰陽師や医師を招いて、さま/″\の祈祷、療治、灸治等をして見るけれども一向に利き目がなく、今はたゞ死を待つばかりの状態となった。
一家一門の悲歎やる方なく、此の上は高徳の聖を聘してその法力に縋ろうと云うことになったが、それには当時天下にその名が著聞していた浄蔵法師を措いて他になかった。
此の浄蔵と云う僧は、昌泰三年の昔、菅公がまだ右大臣として時平と昇進を競っていた頃、「離朱の明も睫上の塵を視る能はず、仲尼の智も篋中の物を知る能はず云々」の句のある一書を菅公に呈して、明年必ず公に禍の及ぶであろうことを告げ、早く官を退いて保身の術を講ずべきことを諷した文章博士三善清行の第八子で、母は弘仁天皇の孫女であった。