その後上皇は勅して彼を叡山に上らせて登壇受戒せしめ給い、玄昭律師に附して密教を学ばしめ給うたが、生来多才多藝の人で、顕密の両宗は勿論のこと、十種に餘る学問技術を身につけていたと云われ、医道、天文、悉曇、相人、管絃、文章、卜筮、占相、舟師、絵師、験者、持経者等々の道に練達してい、音曲などの諸藝にかけても肩を並べる人がなかったと云われる。
左大臣家では此の浄蔵を懇請したので、浄蔵が行ってみると、既に時平の面上に死相が現れているので、もはや定業は免れ難く、たといいかようの術を施しても萬死に一生を得ることはむずかしい旨を申したのであったが、病人も、附き添う家族の人々も、頻りに乞うて止まないので、辞するに由なく、兎も角も加持祈祷に努めた。
折柄浄蔵の父の清行も見舞いに行って枕頭に坐していたが、浄蔵が一心に祈りつゞけると、病人の左右の耳から青龍が出て口より火焔を吐き、清行に向って云うのに、自分は生前尊閣の諷諫を用いなかったゝめに左遷の憂き目を見、筑紫の空に流寓して果敢ない最後を遂げたのであるが、今、梵天帝釈の許しを得、雷となって自分に辛かった人々に怨みを報じようとしているのに、尊閣の息浄蔵が法力を以て妨げをなし、自分を降伏させようとするのは心外である、尊閣願わくは浄蔵法師を制せられよ、と云うのであった。