そのほか、宇多天皇の女御に上って京極御息所と云われた女子があったが、これも短命を以て終り、他の一人の女子仁善子と醍醐天皇の皇太子保明親王との間に生れた康頼王は、時平の外孫に当り、保明親王の薨去後に皇太子に立ったが、これも延長三年六月十八日に、僅か五歳を以て薨じた。
たゞ二男の富小路右大臣顕忠が、康保二年四月廿四日を以て六十八歳で歿したのは例外であるが、此の人は心がけのよい人で、平生菅公の霊を畏れ敬い、毎夜庭に出て天神を拝した。
又身を持すること謹厳で、倹約を旨とし、大臣の位に六年の間いたけれども、家にあっても、外にあっても、大臣の作法を振舞わず、外出の時は前駆を具して行くことはめったになく、車ぞいにも四人の供は召連れず、いつも車の尻の方に乗った。