前記の御息所の外に、敦忠にはなお数人の思い人があった。
今、敦忠集を見ると、その大部分は恋歌であって、中にも斎宮雅子内親王との贈答が多く、此のおん方とは随分長く契り交していたことが想像されるが、後撰集巻十三恋五の部には、宮が斎宮にならせられて伊勢へお下りになった時の敦忠の歌が、次のような詞書と共に載っている。
西四条の前斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くる朝に榊の枝につけてさしおかせ侍りける
前記の御息所の外に、敦忠にはなお数人の思い人があった。
今、敦忠集を見ると、その大部分は恋歌であって、中にも斎宮雅子内親王との贈答が多く、此のおん方とは随分長く契り交していたことが想像されるが、後撰集巻十三恋五の部には、宮が斎宮にならせられて伊勢へお下りになった時の敦忠の歌が、次のような詞書と共に載っている。
西四条の前斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くる朝に榊の枝につけてさしおかせ侍りける