実際それは、日記と云えば日記であるが、幼くして母に生き別れ、やがて父に死に別れた少年時代の悲しい回想から説き起して、それより四十年の後、天慶某年の春のゆうぐれに、西坂本に故敦忠の山荘の跡を訪ねて、図らずも昔の母にめぐり逢う迄のいきさつを書いた、一篇の物語であると云ってもよいのである。
日記に依って想像するのに、滋幹の母の記憶は、彼が四つぐらいの時から少しずつ残っているらしいのであるが、最初の頃のは極めておぼろげな、霞のように淡いものであるに過ぎない。
彼は自分の身に取っても、父の国経に取っても、一生涯の大事件であったあの夜のこと、―――母が本院の大臣に連れて行かれた夜のことについては、何もおぼえていないのであって、たゞいつからか、母がもう自分の家にいないようになったことを、誰かに聞かされて、急に大変悲しくなって泣いたのであった。