そのゝち、その同じ年であったか、明くる年であったか、晴れた秋の日の爽やかな午過ぎに、父が珍しくも前栽に出て、萩がたわゝに咲いている遣り水のほとりに、ぼんやりと石に腰かけていたことがあった。
滋幹はその時ほんとうに久振に父を見かけたのであったが、そうして石に憩うている父の恰好には、長い道中を歩いて来て、くたびれ切って道ばたに休んでいる旅人のようなところがあった。
衣服などもひどく垢づいて、よれ/\になっていて、袂や裾が綻びたりちぎれたりしていたのは、もうその時分、身の周りの世話をする女房などがいなくなっていたのか、いてもそう云う女たちに手を触れさせることを厭ったのであろう。