前よりの心安んぞ忘る可けん
此の終りの句の、「頭陀の法を学ばざれば、前よりの心安んぞ忘る可けん」と云う言葉を、父はやゝもすれば独語のように詠じていたが、それから間もなく佛道に心を傾けるようになったのは、恐らく此の句などに影響されたせいであろう。
なお滋幹は、何と云う題の詩か不明であるが、「夜深うして方に独り臥したり、誰が為めにか塵の牀を払はん」「形羸れて朝餐の減ずるを覚ゆ、睡り少うして偏へに夜漏の長きを知る」「二毛暁に落ちて頭を梳ること懶し、両眼春昏くして薬を点ずること頻りなり」「須く酒を傾けて膓に入るべし、酔うて倒るゝも亦何ぞ妨げん」等々、いろ/\とそれに似たような句があったことを、きれ/″\に覚えているのである。