思うに父は、母恋しさに堪えかねて、酒の力で紛らそうとしたのであったが、酒では到底紛らしきれないことを感じて、佛の慈悲に縋ろうとしたのであろうか。
つまり、「頭陀の法を学ばざれば、前よりの心安んぞ忘るべけん」と云う白詩の示唆に従った訳なので、それは父の死ぬ一年ほど前、滋幹が七つぐらいの時のことであった。
その時分になると、父はもう狂暴性がないようになり、終日佛間にいて、冥想に耽るとか、看経するとか、何処かの貴い大徳を招いて佛法の講義を聴聞するとか、云うような日が多くなったので、乳人や女房たちは愁眉を開いて、どうやら殿も落ちついておいでになった、あの御様子なら安心ですと云って喜んでいたのであったが、しかし滋幹には、そうなってからでも矢張何となく近づきにくい、薄気味の悪い父であることに変りはなかった。