それを見た上人はさめ/″\と泣いて、必ず我を導き給えと、男に向って掌を合わせた。
―――以上が、「あやしの僧の宮づかひのひまに不浄観をこらす事」の説話であって、「閑居の友」の著者は此のあとに、「いとありがたく侍りける事にこそ」と云って、説明を加えて云うのに、愚かな者でも、塚のほとりに行って乱れ腐った死人のむくろを見れば観念が成就し易いと云うことは、天台大師も次第禅門と云う文に説いておられるくらいであるから、此の中間僧もそれを学んだのであろう。
摩訶止観の中には、観のことを説いて、「山河も皆不浄也、くひものきもの又不浄也、飯は白き虫の如し、衣は臭き物の皮の如し」と云ってあるが、かの中間僧の観念のいみじさは、自然と聖教の文に合致しているのである。