又天竺の佛教比丘も、器物は髑髏の如し、飯は虫の如し、衣は蛇の皮の如しと説き、唐土の道宣律師も、器はこれ人の骨也、飯はこれ人の肉也と説いておられるのであるが、かような人々の説き給うことなどを知る筈のない無学の僧が、その教を実行していたと云うのは、何とも頼もしい限りである。
人はたとい此の中間僧のような境地には至り得ない迄も、そう云う道理が分り出して来たら、五慾の思いがだん/\に薄らいで、心の持ち方が改まるであろう。
―――「此のことわりを知らぬもの、こまやかなる味はひには貪慾の心も深く起り、おろそかなる味はひ落ちぶれたる衣には瞋恚の思ひ浅からず、よしあしは変れども、輪廻の種となることはこれ同じかるべし。