―――「此のことわりを知らぬもの、こまやかなる味はひには貪慾の心も深く起り、おろそかなる味はひ落ちぶれたる衣には瞋恚の思ひ浅からず、よしあしは変れども、輪廻の種となることはこれ同じかるべし。
(中略)それにつけてもあはれ無益に侍るべきかな、夢のうちのかりそめのこと故に、永き世に眠らんこと、辛くぞ侍るべきなど思ふべきにや」と云っている。
「あやしの男野原にてかばねを見て心をおこす事」と云うのも、大体同じ趣意の教訓を含んだ説話であって、或る男が野原で浅ましい女の屍骸を見て帰ってから、その形相が頭にこびりついて離れず、妻と相抱いて寝ながら、妻の顔をさぐり合わすと、額のありどころ、鼻のありどころ、唇のありどころ等々が、悉くその死人の相にそっくりであるように思われて、結局無常を悟るに至ると云う筋で、「止観のなかに、人の死にて身のみだるゝより、遂にその骨を拾ひて煙となす迄の事を説きて侍るは、見る眼も悲しう侍るぞかし、斯やうの文も暗き男のおのづからその心おこりけん事」は、猶々有難い事であると云っている。