―――彼女は時平に先立たれた時が二十五六歳だったであろうが、それからは若く美しい未亡人として静かな生涯を生きたのであったか、或は又も第三第四の男を作ったのであったか。
嘗て老大納言の妻として、平中と云う情人を持っていた女性であってみれば、少くとも人目を忍んで誰かと甘いさゝやきを交すぐらいなことがあっても不思議はないが、そう云うことも今はすべて知られていない。
父よりも母を偏愛した滋幹は、たとい母のことについて悪い風聞があったとしても、そんなことを記す訳はないが、こゝでは暫く彼の日記を信用して、母は左大臣の遺れ形見の敦忠の成長を楽しみに、佗びしくつゝましく後家を通して行ったのであるとしておこう。