―――と。
蓋し、それでなくても、自分は父の老大納言と共に母に見限られたのであると思っていた滋幹は、母に対して一種の僻みを抱いていたらしいので、そんなことが一層母との間を心理的に遠ざける因となったのでもあろう。
そうこうするうち、天慶六年三月に敦忠が死に、それから程なく母は出家したのであったが、その噂は滋幹の耳にも這入らない筈はなかった。
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蓋し、それでなくても、自分は父の老大納言と共に母に見限られたのであると思っていた滋幹は、母に対して一種の僻みを抱いていたらしいので、そんなことが一層母との間を心理的に遠ざける因となったのでもあろう。
そうこうするうち、天慶六年三月に敦忠が死に、それから程なく母は出家したのであったが、その噂は滋幹の耳にも這入らない筈はなかった。