滋幹自身は格別そう云う告白をしている訳ではないが、母が尼となってから後、なお数年の歳月が空しく過ぎたのには、多分以上のような事情があったのではなかろうかと、筆者は推測するのである。
出家した滋幹の母が住んでいた西坂本、即ち今の京都市左京区一乗寺のあたりに敦忠の山荘があったことは、拾遺集巻八雑上の部伊勢の歌に、「権中納言敦忠が西坂本の山庄の滝の岩にかきつけ侍りける」として、
音羽川せき入れて落す滝つせに
滋幹自身は格別そう云う告白をしている訳ではないが、母が尼となってから後、なお数年の歳月が空しく過ぎたのには、多分以上のような事情があったのではなかろうかと、筆者は推測するのである。
出家した滋幹の母が住んでいた西坂本、即ち今の京都市左京区一乗寺のあたりに敦忠の山荘があったことは、拾遺集巻八雑上の部伊勢の歌に、「権中納言敦忠が西坂本の山庄の滝の岩にかきつけ侍りける」として、
音羽川せき入れて落す滝つせに