知っての通り下寺町の東側のうしろには生国魂神社のある高台が聳えているので今いう急な坂路は寺の境内からその高台へつづく斜面なのであるが、そこは大阪にはちょっと珍しい樹木の繁った場所であって琴女の墓はその斜面の中腹を平らにしたささやかな空地に建っていた。
光誉春琴恵照禅定尼、と、墓石の表面に法名を記し裏面に俗名鵙屋琴、号春琴、明治十九年十月十四日歿、行年五拾八歳とあって、側面に、門人温井佐助建之と刻してある。
琴女は生涯鵙屋姓を名のっていたけれども「門人」温井検校と事実上の夫婦生活をいとなんでいたのでかく鵙屋家の墓地と離れたところへ別に一基を選んだのであろうか。