そして「これより舞技を断念して専ら琴三絃の稽古を励み、糸竹の道を志」した。
つまり春琴女が思いを音曲にひそめるようになったのは失明した結果だということになり彼女自身も自分のほんとうの天分は舞にあった、わたしの琴や三味線を褒める人があるのはわたしというものを知らないからだ眼さえ見えたら自分は決して音曲の方へは行かなかったのにと常に検校に述懐したという。
これは半面に自分の不得意な音曲でさえこのくらいに出来るという風に聞え彼女の驕慢な一端が窺われるがこの言葉なども多少検校の修飾が加わっていはしないか少くとも彼女が一時の感情に任せて発した言葉を有難く肝に銘じて聴き、彼女を偉くするために重大な意味を持たせた嫌いがありはしないか。