これは半面に自分の不得意な音曲でさえこのくらいに出来るという風に聞え彼女の驕慢な一端が窺われるがこの言葉なども多少検校の修飾が加わっていはしないか少くとも彼女が一時の感情に任せて発した言葉を有難く肝に銘じて聴き、彼女を偉くするために重大な意味を持たせた嫌いがありはしないか。
前掲の萩の茶屋に住んでいる老婦人というのは鴫沢てるといい生田流の勾当で晩年の春琴と温井検校に親しく仕えた人であるがこの勾当の話を聞くに、お師匠さま〔春琴のこと〕は舞がお上手だったそうにござりますが琴や三味線も五つ六つの時分から春松という検校さんに手ほどきをしておもらいなされそれからずっと稽古を励んでおられました、それ故盲目になってから始めて音曲を習われたのではないのでござります、よいお内の娘さん方は皆早くから遊芸のけいこをされますのがその頃の習慣でござりましたお師匠さまは十の歳にあのむずかしい「残月」の曲を聞き覚えて独りで三味線にお取りなされたと申しますそうしてみれば音曲の方にも生れつきの天才を備えておられたのでござりましょうなかなか凡人には真似られぬことでござりますただ盲目になられてからは外に楽しみがござりませぬので一層深くこの道へお這入りなされ、精魂を打ち込まれたのかとぞんじますとのことである。
多分この説の方がほんとうなので彼女の真の才能は実は始めより音楽に存したのであろう舞踊の方は果してどの程度であったか疑わしく思われる