だから佐助のためよりも春琴のために計らったことなのであるが結果から見れば佐助の方が遥かに多く恩沢に浴した。
伝には「丁稚の業務に服する傍日々一定の時間を限り」とあるけれども今まででも毎日手曳きを勤め一日の中の何時間かはこいさんに仕えていたのであるその上こいさんの部屋へ呼ばれて音楽の授業を受けたとすると店の仕事を顧みる暇はなかったであろう。
安左衛門は商人に仕立てる積りで預かった子を娘の守りにしてしまっては国元の親たちに済まぬという心づかいもあったらしいが丁稚一人の将来よりも春琴の機嫌を取る方が大切であったし佐助自身もそれを望んでいる以上、また当分はそうして置いてもと黙許の形になったのであろうと思われる。