佐助が春琴を「お師匠様」と呼び出したのはこの時からであって常には「こいさん」と呼んでよいが授業の間は必ずそう呼ぶように春琴が命じたそして彼女も「佐助どん」と云わずに「佐助」と云い、すべて春松検校がその内弟子を遇する様を真似厳重に師弟の礼を執らせたかくして大人たちの企図したごとくたわいのない「学校ごッこ」が続けられ春琴もそれに紛れて孤独を忘れていたのであるが、二人はその後月を重ね年を経ても一向この遊戯を中止する模様がなかったかえって二三年後には教える方も教えられる方も次第に遊戯の域を脱して真剣になった。
春琴の日課は午後二時頃に靱の検校の家へ出かけて三十分ないし一時間稽古を授かり帰宅後日の暮れまで習って来たものを練習する。
さて夕食を済ませてから時々気が向いた折に佐助を二階の居間へ招いて教授するそれがついには毎日欠かさず教えるようになりどうかすると九時十時に至ってもなお許さず、「佐助、わてそんなこと教せたか」「あかん、あかん、弾けるまで夜通しかかったかて遣りや」と激しく叱咜する声がしばしば階下の奉公人共を驚かした時によるとこの幼い女師匠は「阿呆、何で覚えられへんねん」と罵しりながら撥をもって頭を殴り弟子がしくしく泣き出すことも珍しくなかった