後日春琴が琴曲指南の看板を掲げ弟子を取るようになってから稽古振りの峻烈をもって鳴らしたのもやはり先師の方法を蹈襲したのであり由来する所がある訳なのだが、それは佐助を教えた時代から既に萌していたのであるすなわち幼い女師匠の遊戯から始まり次第に本物に進化したのである。
あるいは云う男の師匠が弟子を折檻する例は多々あるけれども女だてらに男の弟子を打ったり殴ったりしたという春琴のごときは他に類が少いこれをもって思うに幾分嗜虐性の傾向があったのではないか稽古に事寄せて一種変態な性慾的快味を享楽していたのではないかと。
果してしかるや否や今日において断定を下すことは困難であるただ明白な一事は、子供がままごと遊びをする時は必ず大人の真似をするされば彼女も自分は検校に愛せられていたのでかつて己れの肉体に痛棒を喫したことはないが日頃の師匠の流儀を知り師たる者はあのようにするのが本来であると幼心に合点して、遊戯の際に早くも検校の真似をするに至ったのは自然の数でありそれが昂じて習い性となったのであろう