それでも生れた子が可愛くはないかそなたがそんなに強情を張るなら父なし児を育てる訳には行かぬ断って縁組みが厭だとあれば可哀そうでも嬰児はどこぞへくれてやるより仕方がないがと子を枷にして詰め寄るとなにとぞどこへなとお遣りなされて下さりませ一生独り身で暮らす私に足手まといでござりますと涼しい顔つきで云うのである
この時春琴が生んだ子はよそへ貰われて行ったのである弘化二年の生れに当るから今日存命しているとも思われないし貰われて行った先も知れていないいずれ両親がしかるべく処置したのであろう。
そんな訳でとうとう春琴は我を張り通し妊娠の一件を有耶無耶に葬ってまたいつの間にか平気な顔で佐助に手曳きさせながら稽古に通っていたもうその時分彼女と佐助との関係はほとんど公然の秘密になっていたらしいそれを正式にさせようとすれば当人たちがあくまで否認するものだから、娘の気象を知っている親達はやむをえず黙許の形にしておいたと見えるかくして主従とも相弟子とも恋仲ともつかぬ曖昧な状態が二三年つづいた後春琴二十歳の時春松検校が死去したのを機会に独立して師匠の看板を掲げることになり親の家を出て淀屋橋筋に一戸を構えた同時に佐助も附いて行ったのである。