佐助は一生妻妾を娶らず丁稚時代より八十三歳の老後まで春琴以外に一人の異性をも知らずに終り他の婦人に比べてどうのこうのと云う資格はないけれども晩年鰥暮らしをするようになってから常に春琴の皮膚が世にも滑かで四肢が柔軟であったことを左右の人に誇って已まずそればかりが唯一の老いの繰り言であったしばしば掌を伸べてお師匠様の足はちょうどこの手の上へ載るほどであったと云い、また我が頬を撫でながら踵の肉でさえ己のここよりはすべすべして柔かであったと云った。
彼女が小柄だったことは前に書いたが体は着痩せのする方で裸体の時は肉づきが思いの外豊かに色が抜けるほど白く幾つになっても肌に若々しいつやがあった平素魚鳥の料理を好み分けても鯛の造りが好物で当時の婦人としては驚くべき美食家であり酒も少々は嗜んで晩酌に一合は欠かさなかったと云うからそんなことが関係していたかも知れない〔盲人が物を食う時はさもしそうに見え気の毒な感じを催すものであるまして妙齢の美女の盲人においてをや春琴はそれを知ってか知らずか佐助以外の者に飲食の態を見られるのを嫌った客に招かれた時なぞはほんの形式に箸を取るのみであったから至ってお上品のように思われたけれども内実は食べ物に贅を尽したもっとも大食というのではない飯は軽く二杯たべおかずも一と箸ずついろいろの皿へ手をつけるので品数が多くなり給仕に手数のかかることは大抵でなかったまるで佐助を困らせるのが目的のように思えるほどだった。
佐助は鯛のあら煮の身をむしること蟹蝦等の殻を剥ぐことが上手になり鮎などは姿を崩さずに尾の所から骨を綺麗に抜き取った〕頭髪もまた非常に多量で真綿のごとく柔くふわふわしていた手は華車で掌がよく撓い絃を扱うせいか指先に力があり平手で頬を撲たれると相当に痛かった。