そんな次第故諸方からの到来物は一々自ら吟味して菓子の折まで開けて調べるという風で月々の収入支出等も佐助を呼びつけて珠算盤を置かせ決算を明かにした彼女は非常に計数に敏く暗算が達者であり一度聞いた数字は容易に忘れず米屋の払いがいくらいくら酒屋の払いがいくらいくらと二月三月前のことまで正確に覚えていた畢竟彼女の贅沢は甚だしく利己的なもので自分が奢りに耽るだけどこかで差引をつけなければならぬ結局お鉢は奉公人に廻った。
彼女の家庭では彼女一人が大名のような生活をし佐助以下の召使は極度の節約を強いられるため爪に火を燈すようにして暮らしたその日その日の飯の減り方まで多いの少いのと云うので食事も十分には摂れなかったくらいであった奉公人は蔭口をきいて、お師匠様は鶯や雲雀の方がお前等より忠義者だと仰っしゃるが忠義なのも無理がない、私等よりも鳥の方がずっと大事にされていると云った
鵙屋の家でも父の安左衛門が生存中は月々春琴の云うがままに仕送ったけれども父親が死んで兄が家督を継いでからはそうそう云うなりにもならなかった。