鵙屋の家でも父の安左衛門が生存中は月々春琴の云うがままに仕送ったけれども父親が死んで兄が家督を継いでからはそうそう云うなりにもならなかった。
今日でこそ有閑婦人の贅沢はさまで珍しくないようなものの昔は男子でもそうは行かぬ裕福な家でも堅儀な旧家ほど衣食住の奢りを慎み僭上の誹を受けないようにし成り上り者に伍するのを嫌った春琴に奢侈を許したのは外に楽しみのない不具の身を憐れんだ親の情であったのだが、兄の代になるととかくの批難が出て最大限度月に幾何と額をきめられそれ以上の請求には応じてくれないようになった彼女の吝嗇もそういう事が多分に関係しているらしい。
しかしなおかつ生活を支えて余りある金額であったから琴曲の教授などはどうでもよかったに違いなく弟子に対して鼻息の荒かったのも当然である。