てる女は佐助に糸竹の道を習う傍二人の盲人の間を斡旋して手曳きとも付かぬ一種の連絡係りを勤めたけだし一人は俄盲目一人は幼少からの盲目とは云え箸の上げ下しにも自分の手を使わず贅沢に馴れて来た婦人の事故是非ともそう云う役目を勤める第三者の介在が必要でありなるべく気の置けない少女を雇うことにしていたがてる女が採用されてからは実体なところが気に入られ大いに二人の信任を得てそのまま長く奉公をし、春琴の死後は佐助に仕えて彼が検校の位を得た明治二十三年まで側に置いてもらったと云う。
てる女が明治七年に始めて春琴の家へ来た時春琴は既に四十六歳遭難の後九年の歳月を経もう相当の老婦人であった顔は仔細があって人には見せないまた見てはならぬと聞かされていたが、紋羽二重の被布を着て厚い座布団の上に据わり浅黄鼠の縮緬の頭巾で鼻の一部が見える程度に首を包み頭巾の端が眼瞼の上へまで垂れ下るようにし頬や口なども隠れるようにしてあった。
佐助は眼を突いた時が四十一歳初老に及んでの失明はどんなにか不自由だったであろうがそれでいながら痒い処へ手が届くように春琴を労わり少しでも不便な思いをさせまいと努める様は端の見る目もいじらしかった春琴もまた余人の世話では気に入らず私の身の周りの事は眼明きでは勤まらない長年の習慣故佐助が一番よく知っていると云い衣裳の着附けも入浴も按摩も上厠もいまだに彼を煩わした。