ちなみに云う春琴と佐助との間には前記の外に二男一女があり女児は分娩後に死し男児は二人共赤子の時に河内の農家へ貰われたが春琴の死後も遺れ形見には未練がないらしく取り戻そうともしなかったし子供も盲人の実父の許へ帰るのを嫌った。
かくて佐助は晩年に及び嗣子も妻妾もなく門弟達に看護されつつ明治四十年十月十四日光誉春琴恵照禅定尼の祥月命日に八十三歳と云う高齢で死んだ察する所二十一年も孤独で生きていた間に在りし日の春琴とは全く違った春琴を作り上げいよいよ鮮かにその姿を見ていたであろう佐助が自ら眼を突いた話を天竜寺の峩山和尚が聞いて、転瞬の間に内外を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶幾しと云ったと云うが読者諸賢は首肯せらるるや否や
(昭和八年六月)