しかるに翌朝吉野十八郷の荘司等が追撃して来て奮戦するうち、埋められた王の御首が雪中より血を噴き上げたために、たちまちそれを見附け出して奪い返したと云う。
以上の事柄は書物によって多少の相違はあるのだが、南山巡狩録、南方紀伝、桜雲記、十津川の記等にも皆載っているし、殊に上月記や赤松記は当時の実戦者が老後に自ら書き遺したものか、あるいはその子孫の手に成る記録であって、疑う余地はないのである。
一書によると、王のお歳は十八歳であったと云われる。
しかるに翌朝吉野十八郷の荘司等が追撃して来て奮戦するうち、埋められた王の御首が雪中より血を噴き上げたために、たちまちそれを見附け出して奪い返したと云う。
以上の事柄は書物によって多少の相違はあるのだが、南山巡狩録、南方紀伝、桜雲記、十津川の記等にも皆載っているし、殊に上月記や赤松記は当時の実戦者が老後に自ら書き遺したものか、あるいはその子孫の手に成る記録であって、疑う余地はないのである。
一書によると、王のお歳は十八歳であったと云われる。