以上の事柄は書物によって多少の相違はあるのだが、南山巡狩録、南方紀伝、桜雲記、十津川の記等にも皆載っているし、殊に上月記や赤松記は当時の実戦者が老後に自ら書き遺したものか、あるいはその子孫の手に成る記録であって、疑う余地はないのである。
一書によると、王のお歳は十八歳であったと云われる。
また、嘉吉の乱にいったん滅亡した赤松の家が再興されたのは、その時南朝の二王子を弑して、神璽を京へ取り戻した功績に報いたのであった。
以上の事柄は書物によって多少の相違はあるのだが、南山巡狩録、南方紀伝、桜雲記、十津川の記等にも皆載っているし、殊に上月記や赤松記は当時の実戦者が老後に自ら書き遺したものか、あるいはその子孫の手に成る記録であって、疑う余地はないのである。
一書によると、王のお歳は十八歳であったと云われる。
また、嘉吉の乱にいったん滅亡した赤松の家が再興されたのは、その時南朝の二王子を弑して、神璽を京へ取り戻した功績に報いたのであった。