歌舞伎の舞台では大判事清澄の息子久我之助と、その許嫁の雛鳥とか云った乙女とが、一方は背山に、一方は妹山に、谷に臨んだ高楼を構えて住んでいる。
あの場面は妹背山の劇の中でも童話的の色彩のゆたかなところだから、少年の心に強く沁み込んでいたのであろう、そのおり母の言葉を聞くと、「ああ、あれがその妹背山か」と思い、今でもあのほとりへ行けば久我之助やあの乙女に遇えるような、子供らしい空想に耽ったものだが、以来、私はこの橋の上の景色を忘れずにいて、ふとした時になつかしく想い出すのである。
それで二十一か二の歳の春、二度目に吉野へ来た時にも、再びこの橋の欄干に靠れ、亡くなった母を偲びながら川上の方を見入ったことがあった。