「菜摘川のほとりにて、いずくともなく女の来り候いて、―――」と、謡曲ではそこへ静の亡霊が現じて、「あまりに罪業のほど悲しく候えば、一日経書いて賜われ」と云う。
後に舞いの件になって、「げに耻かしや我ながら、昔忘れぬ心とて、………今三吉野の河の名の、菜摘の女と思うなよ」などとあるから、菜摘の地が静に由縁のあることは、伝説としても相当に根拠があるらしく、まんざら出鱈目ではないかも知れない。
大和名所図会などにも、「菜摘の里に花籠の水とて名水あり、また静御前がしばらく住みし屋敷趾あり」とあるのを見れば、その云い伝えが古くからあったことであろう。