さて義経に関しては、「また源義経公川上白矢ガ嶽にて五月節句をお祝遊されそれより御下りこれあり村国庄司内にて三四十日被遊御逗留宮滝柴橋御覧有りその時御詠みの歌に」として二首の和歌が載っている。
私は今日までまだ義経の歌と云うものがあるのを知らないが、そこに記してある和歌は、いかな素人眼にも王朝末葉の調子とは思えず、言葉づかいも余りはしたない。
次に静御前の方は、「その時義経公の愛妾静御前村国氏の家にご逗留あり義経公は奥州に落行給いしより今は早頼み少なしとてお命を捨給いたる井戸あり静井戸と申伝え候也」とあるから、ここで死んだことになっているのである。