私は今日までまだ義経の歌と云うものがあるのを知らないが、そこに記してある和歌は、いかな素人眼にも王朝末葉の調子とは思えず、言葉づかいも余りはしたない。
次に静御前の方は、「その時義経公の愛妾静御前村国氏の家にご逗留あり義経公は奥州に落行給いしより今は早頼み少なしとてお命を捨給いたる井戸あり静井戸と申伝え候也」とあるから、ここで死んだことになっているのである。
なおその上に、「然るに静御前義経公に別れ給いし妄念にや夜な夜な火玉となりて右乃井戸より出し事凡三百年その頃おい飯貝村に蓮如上人諸人を化益ましましければ村人上人を相頼静乃亡霊を済度し給わんやと願ければ上人左右なく接引し給い静御前乃振袖大谷氏に秘蔵いたせしに一首乃歌をなん書記し給いぬ」としてその歌が挙げてある。