次に故郷の実家から寄越したのは一通しかなく、宛名は「大阪市新町九軒粉川様内おすみどの」とあり、差出人は「大和国吉野郡国栖村窪垣内昆布助左衛門内」となっていて、「此度其身の孝心をかんしん致候ゆえ文して申遣し参らせ候左候えば日にまし寒さに向い候え共いよいよかわらせなく相くらされこのかたも安心いたし居候ととさんと申かかさんと申誠に誠に難有………」と云うような書き出しで、館の主人を親とも思い大切にせねばならぬこと、遊芸のけいこに身を入れること、人の物を欲しがってはならぬこと、神仏を信心することなど、教訓めいたことのかずかずが記してあった。
津村は土蔵の埃だらけな床の上にすわったまま、うす暗い光線でこの手紙を繰り返し読んだ。
そして気がついた時分には、いつか日が暮れていたので、今度はそれを書斎へ持って出て、電燈の下にひろげた。