中には全く忘れていて答えられないこと、記憶ちがいと思われること、遠慮して云わないこと、前後矛盾していること、何かもぐもぐと云うには云っても息の洩れる声が聴き取りにくく、いくら問い返しても要領を掴めなかったことなどがたくさんあって、半分以上はこちらが想像で補うより外はなかったが、とにかくそう云う風にしてでも津村が知り得た事柄は、母に関する二十年来の彼の疑問を解くに足りた。
母が大阪へやられたのは、たしか慶応頃だったと婆さんは云うのだけれども、ことし六十七になる婆さんが十四五歳、母が十一二歳の時だったそうであるから、明治以後であることは云うまでもない。
それゆえ母はわずか二三年、多くも四年ほど新町に奉公しただけで、じきに津村家へ嫁いだことになる。