おんちゝ下野守久政公も御存生でいらっしゃいまして、とかくお父子の間柄がよくないと申す噂も厶りましたけれど、それももと/\は久政公がお悪いのだと申すことで、御家老がたをはじめおおぜいの御家来衆もたいがいは備前どのゝ方へ服しておられたようでござりました。
なんでも事のおこりというのは、長政公が十五におなりになったとし、えいろく二ねんしょうがつと云うのに元服をなされて、それまでは新九郎と申し上げたのが、そのときに備前のかみながまさとお名のりなされ、江南の佐々木抜関斎の老臣平井加賀守どのゝ姫君をお迎えなされました。
ところが此の御縁組みは長政公の御本意でのうて、久政公が云わば理不尽におしつけられたのだと申すことでござります。