長政公はそのへんじをきかれると、あゝ、朝倉もそんな悠長なことを申しておるのか、それで義景のじんぶつもわかった、そのようなのろまなことであのすばしっこい信長に勝つみこみなど、十に一つもあろうとはおもわれぬ、父上の仰せがあったばかりによしない人に組みしたのが運のつきだと、しみ/″\述懐あそばしたそうでござりますが、もうそのときから浅井の家もわがいのちも長いことはあるまいと、かくごをきめられたらしゅうござります。
それから姉川、さかもとの合戦がござりまして、いちどは扱いになりましたけれども、たちまち和議もやぶれてしまいまして、織田ぜいのためにじり/\と御りょうぶんを削られてゆきました。
まことに名将の仰っしゃったことにまちがいはなく、長政公のおことばがおもいあたるのでござります。