そのおり藤吉郎どのは、小谷のおしろは小ぜいにてはまもりがたいと仰せられ、わたくしのこきょう長浜へうつられまして、当時あそこは今浜と申しておりましたのを、このとき長浜とおあらためになったのでござります。
それはとにかく、ひでよし公が小谷のおくがたに懸想なされましたのはいつごろからでござりましたか。
わたくしはおくがたがお城をおたちのきなされましたとき、「いっしょにつれて行ってやりたいが、いったんこゝをおちのびてからたよっておいで」と、有りがたい仰せがござりましたものですから、この身はすでになきものとかくごいたしておりましたのがまよいのこゝろをしょうじまして、おのりものゝあとからまぎれ出で、かっせんのしゞゅうを見とゞける迄いちにちふつかは町かたにかくれておりましたけれども、またおそばをしとうて上野守どのゝ御陣へあがりましたところ、気にいりの座頭であるからとおこえがゝりがござりましたので、さいわいにきびしいおとがめもござりませんで、ふたゝび御用をつとめておったのでござります。