こうねん柴田どのとこのおくがたの取りあいをなされ、こいにはおやぶれになりましたけれども、ついに勝家公御夫婦をせめほろぼされ、生々よゝのかたきとなられましたのもこのときからのいんねんでがなござりましょう。
当時わかぎみの御さいごのことはおくがたのお耳へいれぬようにと、のぶなが公のおこゝろづかいがござりましたので、たれいちにんも申しあげたものはないはずでござりますけれども、さらしくびにまでなりまして、しょにんのまなこにふれましたことゆえ、うす/\世上のとりさたをおきゝこみになりましたか、またはむしがしらせたと申しますものか、いつからともなくけはいをおさとりあそばしてきっと御しあんなされたらしゅう、それからは秀吉公がおこしになりますとかえってみけしきがすぐれぬようでござりました。
なれども或る日、「えちぜんからはあれきりなんのたよりもないが、若はどうしたことかしらん、とかく夢みがわるいので気になります」と、ひでよし公へおたずねになりましたので、「さあ、いっこうに承知いたしませぬが、いまいちどおつかいをお出しなされましては」と、さあらぬていで申されますと、「でも、そなたが若をうけとりに行ったというではないか」と仰っしゃりましたのが、しずかなうちにもするどいおこえでござりました。