さわがしいなかにもこんなおよろこびのありましたのが正月のすえか二がつのはじめでござりまして、もうそのころには佐久間げんばどのがかついえ公のせんぽうとして二まんよきをしたがえられ、のこんのゆきをふみしだいて江北へ打って出られました。
ひでよし公は伊勢の御陣よりながはまへはせつけられますと、あくるあさはやく足軽にすがたをかえられ、十人ばかりの古老をめしつれて山の上へおのぼりなされまして、柴田がたのとりで/\をくわしく御らんになりましたが、あの様子ではとてもたやすくやぶれそうもないぞ、味方もせい/″\しろをけんごにこしらえて気永にかゝるよりしかたがないと仰っしゃって、そなえをきびしくあそばされ、きゅうにはおせめなさりませなんだ。
それで双方たいじんのまゝ三月がすぎ、四がつになりましてからいよ/\とのさまもやながせ表へ御発向でござりました。