きけば御子息権六どのはどうなされましたか、らんぐんのちまたのことゝて生死のほどもお分りにならず、とのさまもすでに柳ヶ瀬の陣中においてうちじになされますところを、せめておしろへおかえりになってしずかに御生害あそばしませ、こゝはわたくしがお引きうけいたしますと、毛受勝介どのがたっておすゝめ申しあげましたので、それではと仰っしゃって五幣のお馬じるしを勝介どのにおあずけなされ、府中の利家公のおしろで湯づけをめしあがられまして、それよりいそぎ北の庄へ駈け込まれたのでござります。
としいえ公もお供いたしましょうと申されて御いっしょにたちいでられましたけれども、しいて御辞退なされまして途中からおかえしになりましたが、またしばらくしてよびもどされまして、その方はそれがしとちがい筑前のかみとかね/″\じっこんにしておられる、それがしへの誓約はもはやこれまでに果たされているから、以来はちくぜんとわぼくして本領をあんどなされたがよい、このほどじゅうの骨おりは勝家うれしくおもいますと仰っしゃってこゝろよくお別れになったと申します。
それが廿一日のゆうこくでござりまして、あくる廿二日には堀久太郎どのをせんじんとして上方勢がひた/\と北の庄へおしよせてまいり、ひでよし公もやがてとうちゃくなされまして愛宕山のうえより諸軍をさしずあそばされ、おしろをすきまもなく取りまかれたのでござります。