そのうちに一人、「梨花一枝雨を帯びたるよそほひの、雨を帯びたるよそほひの」と、一座のかた/″\がおもわず鳴りをしずめますような美音をはりあげてうたわれましたのは、朝露軒と申される法師武者でござりました。
このおかたはなにごとにも器用でおいでなされ、琵琶、三味線などもみごとにおひきなされますところから、わたくしもかねてじっこんにねがっておりましたので、ふしまわしのたしかなことはとくよりぞんじておりましたなれども、いまの楊貴妃のうたの文句に耳をかたむけておりますと、「雨を帯びたるよそほひの、太液の芙蓉のくれなゐ、未央の柳のみどりも、これにはいかでまさるべき、げにや六宮の粉黛の、顔色のなきもことわりや、顔色のなきもことわりや」と、そうおうたいなされるではござりませんか。
もとより朝露軒どのはそんなおつもりではござりますまいけれども、きいておりますわたくしの身には、おくがたの御きりょうをうたっておられるようにしか受け取れませぬので、あゝ、それほどにおうつくしい花のかんばせも、こよいをかぎりに散っておしまいなさるのかと、この期になっていまだに未練がきざしてくるのでござりました。